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Channel: 攝津正
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鶴見俊輔『読書のすすめ』

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 倉庫を隣りのガス屋に貸す関係でなかの古い荷物を出してきて整理し、不要な家具類や大半棄てたのだが、後は小学生の頃から大学に至るまでの私の厖大な原稿と若干の書籍である。昨日はたまたま鶴見俊輔『読書のすすめ』(潮出版社)を出してきて読み始めたが、これが大変に面白かった。
 特に「花田清輝の方法」なる一文が面白かった。いま現在の私などは、鶴見のようなリベラルな市民主義者と左翼の間に溝を予想しがちであるが、当時の彼らにはそういう狭隘な精神はない。実のところ、いまもそういうことはほとんどないのだが、鶴見について書く前にそのことに一言すると、革命を目指すというようなラディカルの退潮はもはや決定的になっているので、60年安保のときは『共産党宣言』を持ってデモに集まったが、いまのシールズなどは『日本国憲法』だというところに時代の変化がある、というレイバーネット木下昌明の短評、かつての自民党ハト派、穏健保守の流れを汲む/継ぐのがシールズではないかという某記者氏の意見、『現代思想』誌『戦後70年』における樋口陽一杉田敦の対談における言葉の肯定的な意味における「生活保守主義」という観点。これを押さえておけば、左翼といっても共産党のかなりの部分までいまやリベラル市民派として、わけのわからぬ新左翼の教祖たちよりは鶴見の庶民思想、街頭思想を継承しているのだということがわかり、つねづね批判的にしか言及していないが、木下ちがやの発言からも了解されるところである。
 そういうふうに、左翼的な大胆な変革をあくまで目指すひとたちと、生活保守というかどうかはわからないが、とりあえず戦後70年現状の良いところを維持していきたいというひとたちとの決定的な対立や溝は薄れてきている、なくなってきているのだというふうにみるとしても、だからこそ余計に思想面では対立の線を引かざるを得ない一群のひとたちがいるということで、故・武井昭夫の流れを汲むひとたちと、それから文芸批評においてはスガ秀実である。スガは樋口ではないが、誰の主張だったか肯定的な意味合いでの生活保守主義という誰かの意見を揶揄していたが、スガ氏については私は最近の著作はほとんど全く読まず、『反原発の思想史』くらいまでで放擲して、後はツイートを読むくらいであるが、スガが吉本隆明を執拗に罵倒するのは、アルツハイマーなどと。それは最初からのことだが、いま現在の彼に思うに1960年の時点の吉本のポジションのヘゲモニー的な乗り越えや簒奪、超克を目指しているのではないか、ということで、その後いかにというかどこまで保守化したのだとしても、そこまでの吉本には戦後民主主義が「擬制」、欺瞞とまではいわないがフィクション、虚妄であるという強い批判はあった。フィクションだから駄目だというだけでは余りに幼稚だし、その後の吉本はというか、彼自身後年振り返るように、60年安保の敗北をもってもはや変革は不可能だとみてそういう意味で《戦後が終わった》と認識したのだった。そういう意味では、80年代の我が「転向」は既に当時に論理的には準備されていたと申し上げてもよい。
 話が本題の鶴見になかなか戻らないが、そのことに関連してもう少しいえば、標題優位どころか「歌詞オンリー」な吉本の歌謡曲論だが、彼は60年安保までは赤旗の歌やインターナショナルを好んで歌っていたが、それを機に以後歌えなくなってしまった、と書いている。『蛍の光』の二番以降が帝国主義的、植民地主義的な内容を含むのでいやだというレヴェルではないはずであり、60年にどういう転換があったのかと考えてみると、共産党への違和感だけならそもそもデビュー前の自滅的な労働運動を繰り返していた頃から強烈に持っていたはずであり、生真面目に過ぎるというか、そういうことと歌は関係ないだろうという吉本のその心境の変化は、共産党がどうのに限らない左翼的な運動や理念からの距離感を示すものだったのかもしれない。私自身も、労組をやめてからも長らくインターや国際学蓮の歌などはそれほど大嫌いでもなかった。組合関係だとか左翼だとか自称する連中にネットで滅茶苦茶に攻撃されるまでは、ということである。そういうものだろう。
 さてここでようやく話を鶴見に戻すことができるが、鶴見の花田論で面白いのは生活綴り方運動への評価である。これまた木下ちがやが肯定的にSNSとからめて評価し、他方吉本は作文として言葉を書く大衆はもはや大衆ではないと???を述べていたとか述べていないとかだが、それは先日示したように『自立の思想的拠点』所収の「日本のナショナリズム」である。しかし、80−90年代の言語論言語観から鑑みるに、吉本の難解な語彙による批判は教条的であったとしても、作文の時点で大衆存在ではないからいかんという次元だけであったというのはどうも木下の側の単純化ではないかと疑う。これまた吉本のソシュール曲解といわれるものだが、前田秀樹『沈黙するソシュール』の書評で彼は、ソシュールが語られた言葉のみを言語学の対象としたことからソシュールの絶望が生まれた、自分はそのような絶望を回避するために最初から書かれた言葉だけしか対象にしなかった、と述べている。『言語にとって美とはなにか』でよく揶揄される、古代人が海を見て「う」と思わず漏らしたというそれこそ《フィクション》としか捉えようのない何かを思い起こせば、へえ、そうかいというようなものだが、その初源の光景の《幻視》はともかく、彼の主要な関心は書き言葉どころか日本近代文学の言葉にしかなかった、というのは明瞭なことだろう。そこで綴り方〜大衆存在がどうのの議論に戻るならば、どうしようもないドタバタナンセンス喜劇にしてしまわない唯一の解釈は、素朴な大衆存在なるものをそんなに簡単に接近可能ななにかとして想定することがそもそも間違いである、それがただの作文であれSNSであれ、《書く》ということそのものを含めた何らかの間接性、媒介性の考慮が二重三重に必要だという、俗流であろうとなかろうとヘーゲル思想的な媒介、反省の観点からみるべきではないか、ということであろう。
 鶴見に戻る。八〇ページから八一ページである。
 《それから、生活綴り方について。これは『さまざまな戦後』の「記録芸術論」に出てきます。久野さんと私の書いた『現代日本の思想』の「生活綴り方運動」のところで批判した同じ線上で出てくるんですけれども、花田の生活綴り方運動の批判は、生活綴り方運動は“実感を固定する”ということなんです。ある時ある場合に自分はこう感じたという実感をそのまま生活綴り方で記録として書き得たと思ったところに、実感の描写そのものが固定する、実感を描写したとしても、それがピンでとめたような死んだ記号になる、ということなんです。もしそれがもとの生きている状況における実感だとすれば、実感なるものも絶えずゴムまりのようにバウンドして動いている。いくつもの可能性を持っているんです。それが生活綴り方の中で死んでとらえられるんじゃないか、そして実感はこれだというのが固定してしまうんじゃないか、という批判です。
 これは豊田正子批判に集中するわけで、そのような実感の固定したとらえ方をすれば必ず硬直化するんで、ある教条にべったり自分を結びつける方向に行くのは、当然の発展として出てくるんじゃないか、ということでしょうね。私は生活綴り方はそのような落とし穴をもっていると思います。だからといって、トータルに否定するのではない。実感をピンでとめるのではなく、生ける記号として使いこなす道も生活綴り方の中にまたある、と私は思います。だから、花田の批判が一つはさまることで、「やっぱり生活綴り方運動じゃだめなんだ。真のマルクス主義に目覚めよう」というのでは、花田の批評を生かすことにはならない。そういうことを花田は要求しているのではない。おのずから別の生活綴り方運動があり得る、別のものに目を向けるという方向があります。》
 私の感想をいえば、実感の固定が教条への硬直に飛躍する、転化するというのは非常によくわかる。もうひとつは、このひとたちは批判や批評ということをなにか生産的に活かすということをよく知っていた、そういうことの達人であってもはやそれは立場は超えている。他方いまはそのことが一番欠けているのではないか、ということである。


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